大井玄先生(東大名誉教授・臨床医師)を囲む勉強会
しばらくブログを更新できませんでした。楽しみにしてくださっている方、申し訳ありませんでした。
息子の受験サポートもあって、年明けから仕事は抑え気味でしたが、入学式を終えたら、ありがたいことに商売繁盛。一気に3倍くらいに増えて、大型連休中もほぼ毎日PCの前におりました。 またこの間に、東大大学院時代の研究室の同窓会、保健師として勤務したNEC玉川健康管理センターの同窓会など、楽しいイベントもいくつかありました。
さて今回は、5月16日に学士会館で開かれた大井玄先生のご講演の話をしたいと思います。先生は、1996年に東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻教授を退任されましたが、その退官講演で花束を渡した1人が私でした。以来、ご著書は時々拝読していましたが、講演を聞いたのは初めてです。
この日は、「経営文化フォーラム」という異業種の方々の集まりで、企業や団体の社長、名誉会長、顧問といった方が大勢おられたようです(なぜ私に案内が来たのかは不明…)。
演題のタイトルは、
「老いの意味を考える ~自然の配慮と歴史的視点~ 《認知症とがん疼痛》」
ということで、現在「看取り医」として日々考えておられることを、以前と変わらぬ調子で話しておられました。
皆様は、「老耄(ロウモウ)」という言葉を聞いたことがありますか?
「耄」は、「あの人、モウロクしたね」と言うときに使う「耄碌」の「耄」です。
話の序盤に、次のようなスライドを示されました。
*******************
「老耄」の意味
「アルツハイマー型認知症は「病気」ではない。「老耄」の現れである」
松下正明 前東京都健康長寿医療センター理事長
*******************
さらに、
+++++++++++++++++++
生物の一生の必然の過程は、加齢である。
それに伴い老化は進み、種々の精神・身体症状が現れるのは自然だ
「生と死」は対比できない。誕生と死である。
我々は「生きている」のではなく「生死している」(動的平衡、刹那生滅)」
老耄はホモ・サピエンスにおいてのみ可能
感覚的情動的苦痛のない段階は、死のまえの「適応」
+++++++++++++++++++
といった言葉が続き、作家・井上靖の母についての記述、生物学者・福岡伸一の動的平衡の話から、唯識、カント、マッハへの言及もありました。
そして、最後の方のスライドに書かれていたのは、
*******************
老耄とは、「自然が人生の最後に用意してくれた仕組み」
それにより、死の恐怖という精神的苦痛、痛みという身体的苦痛を経験せずに、現世から涅槃に移ることができる
*******************
講演後に、20分程度の質問時間が用意されており、数名の質問のあとに、司会者の方から、先生の教え子ということで私に振られました。そこで、大井先生のご略歴と私との接点を簡単に述べたあと、次のような質問をしました。
「先生は、現在「看取り医」と自ら称して、活動されていますが、ご自身は、どこで、どなたに看取られて、最期を迎えたいですか?」
先生は独特の笑みを浮かべたあと、静かに答えてくださいました。
どんな答えだったかは内緒です。 でも、もしかしたら、先生の近著 『老年という海を行く・・・看取り医の回想とこれから…』(みすず書房)に答えにつながる言葉が載ってるかもしれません。
息子の受験サポートもあって、年明けから仕事は抑え気味でしたが、入学式を終えたら、ありがたいことに商売繁盛。一気に3倍くらいに増えて、大型連休中もほぼ毎日PCの前におりました。 またこの間に、東大大学院時代の研究室の同窓会、保健師として勤務したNEC玉川健康管理センターの同窓会など、楽しいイベントもいくつかありました。
さて今回は、5月16日に学士会館で開かれた大井玄先生のご講演の話をしたいと思います。先生は、1996年に東京大学大学院医学系研究科 国際保健学専攻教授を退任されましたが、その退官講演で花束を渡した1人が私でした。以来、ご著書は時々拝読していましたが、講演を聞いたのは初めてです。
この日は、「経営文化フォーラム」という異業種の方々の集まりで、企業や団体の社長、名誉会長、顧問といった方が大勢おられたようです(なぜ私に案内が来たのかは不明…)。
演題のタイトルは、
「老いの意味を考える ~自然の配慮と歴史的視点~ 《認知症とがん疼痛》」
ということで、現在「看取り医」として日々考えておられることを、以前と変わらぬ調子で話しておられました。
皆様は、「老耄(ロウモウ)」という言葉を聞いたことがありますか?
「耄」は、「あの人、モウロクしたね」と言うときに使う「耄碌」の「耄」です。
話の序盤に、次のようなスライドを示されました。
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「老耄」の意味
「アルツハイマー型認知症は「病気」ではない。「老耄」の現れである」
松下正明 前東京都健康長寿医療センター理事長
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さらに、
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生物の一生の必然の過程は、加齢である。
それに伴い老化は進み、種々の精神・身体症状が現れるのは自然だ
「生と死」は対比できない。誕生と死である。
我々は「生きている」のではなく「生死している」(動的平衡、刹那生滅)」
老耄はホモ・サピエンスにおいてのみ可能
感覚的情動的苦痛のない段階は、死のまえの「適応」
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といった言葉が続き、作家・井上靖の母についての記述、生物学者・福岡伸一の動的平衡の話から、唯識、カント、マッハへの言及もありました。
そして、最後の方のスライドに書かれていたのは、
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老耄とは、「自然が人生の最後に用意してくれた仕組み」
それにより、死の恐怖という精神的苦痛、痛みという身体的苦痛を経験せずに、現世から涅槃に移ることができる
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講演後に、20分程度の質問時間が用意されており、数名の質問のあとに、司会者の方から、先生の教え子ということで私に振られました。そこで、大井先生のご略歴と私との接点を簡単に述べたあと、次のような質問をしました。
「先生は、現在「看取り医」と自ら称して、活動されていますが、ご自身は、どこで、どなたに看取られて、最期を迎えたいですか?」
先生は独特の笑みを浮かべたあと、静かに答えてくださいました。
どんな答えだったかは内緒です。 でも、もしかしたら、先生の近著 『老年という海を行く・・・看取り医の回想とこれから…』(みすず書房)に答えにつながる言葉が載ってるかもしれません。